歴史と見どころ
機那サフラン酒製造本舗は、創業者の吉澤仁太郎が半生をかけて築造した夢の館。
仁太郎の世界観を映す豪勢な屋敷や蔵、庭園は、今も多くの人を魅了しています。
機那サフラン酒と吉澤仁太郎
吉澤仁太郎(よしざわ にたろう)は1863年、摂田屋の隣村に農家の次男として生まれた。
21歳で家伝の薬酒を竹筒に入れて行商を始める。サフランと蜂蜜、丁子、桂皮、甘草などで調整した薬用酒を「機那サフラン酒」と命名。売り込みにまい進した。


1894(明治27)年、31歳で摂田屋に居を移し、店舗と製造所を構えた。
「機先を制する者は過半を制す」を信条に事業を拡大し、仁太郎のサフラン酒はたちまち全国区に。「養命酒」と人気を二分する勢いで売れに売れ、昭和初期にはハワイまで販路を広げた。
醸造の町の長者御殿
財をなした仁太郎は、50歳になる頃から独創的な屋敷や蔵の普請に熱中する。
まず、龍や武者など手の込んだ彫刻で埋め尽くした木製の大看板を造らせ、店の「御目印」として正門脇に設置。大正期は主屋の大増築に続いて、鏝絵を施した豪華な蔵を建造した。1931(昭和6)年には贅を尽くした別館「離れ座敷」が完成。そこから眺める回遊式庭園も造った。
吉澤仁太郎は1941(昭和16)年、78歳で病没。戦後、サフラン酒の事業が衰退したこともあり、老朽化が進む屋敷や庭園の維持管理は年々難しくなっていった。


大看板

地域で守る文化遺産
吉澤仁太郎が約20年かけて造営した機那サフラン酒本舗は、「醸造の町」として発展してきた摂田屋地区の歴史を語る貴重な文化遺産です。
2009年、地元のまちづくり団体がボランティアを募り、荒れた庭園の草取りや邸内の片付け・清掃などが始まりました。その後も市民有志による庭や建物の保全活動は続けられ、施設一体の保存につながりました。
現在は長岡市が所有者となり、観光や交流の拠点として整備を進めています。


Highlights
奇想天外な仁太郎の世界を
お楽しみください。
Kote-e-gura
鏝絵蔵
極彩色の見世蔵
1926(大正15)年の建築で、鏝と色漆喰(しっくい)を用いて図柄を立体的に描き出す「鏝絵(こてえ)」が、扉や軒下の壁などに多数施されている。店舗・事務室として使用され、目を引く外観は広告塔の役割も担った。
現在、蔵の2階は資料室で、大正時代の新聞広告や当時の宣伝資材、薬用酒製造に使った道具などを展示している。




The Main House (Omoya)
主屋
威容を誇る大邸宅
看板を掲げる玄関部分は明治中期の建築。1913(大正2)年に既存の建物を一部解体し、玄関の後方に木造2階建て桟瓦葺きの豪壮な建物を増築した。店舗兼住居として使われた。
鏝絵を施した衣装蔵(1916年築)、鏝絵蔵(1926年築)を左右に従えるように建ち、屋敷正面の印象的な景観を形成する。




The Annex (Hanare-zashiki)
& The Garden
離れ座敷・庭園
贅を尽くした迎賓の館
庭に面した離れ座敷は、1931(昭和6)年に完成した。幅広の廊下はケヤキの一枚板で、桐の天井を支えるのは長さ18mの杉丸太。部屋の床柱や欄間には、紫檀や桜、黒柿などの銘木が使われている。賓客をもてなす場として、贅を尽くして建てられた。
長野の浅間山から運んだ溶岩で幾つも築山を造り、多数の名石のほか仁太郎自作の石像や石灯籠を配した独創的な庭園は近年、一部が修復された。往時の趣を感じながら、四季折々の眺めが楽しめる。
※庭園・離れ座敷のエリアは降雪期の12月~3月は閉鎖します。




Discover
ほかにも隠れた見どころがあります。
あなたの胸熱ポイント、見つけてください。
龍は好き♡
鏝絵、鬼瓦、庭の銅像など、サフラン酒本舗には龍の意匠がたくさんある。仁太郎の好みなのか、邸内で発見された当時の客用座布団も全て龍の柄だった。


上を見て
屋根の装飾も豪勢だ。主屋、衣装蔵、鏝絵蔵、離れ座敷の大棟は、半円の瓦を積んだ輪違(わちがい)文様でトータルコーディネートされている。


後ろも
斜め格子パターンで埋め尽くした鏝絵蔵の背面は、モノトーンだけどゴージャス。平瓦を壁に貼り付け、目地の漆喰(しっくい)をナマコ型に盛り上げた「海鼠(なまこ)壁」もまた、異色の進化を遂げた左官技術という。


足元にも
土間に残る犬の足跡は、鏝絵蔵の完成後に付いたものらしい。当時の飼い犬の仕業。仁太郎の希望で、あえてそのまま残したと伝わる。

